滋賀県消費者運動のあゆみ

せっけん運動の歩み
琵琶湖の状況 県政の動き 消費者運動の歩み その他の出来事
1970
(S45)
  ・公害対策室設置 ・大津生協、合成洗剤の界面活性剤による泡公害を問題視
・総評滋賀地域評議会主婦連絡会合成洗剤による皮膚障害
・滋賀県地域婦人団体連合会等の健康被害を指摘
・琵琶湖岸、清掃運動はじまる
 
1971
(S46)
  ・県立消費生活センター開設
・「美しい湖国をつくる会」設立
   
1972
(S47)
  琵琶湖総合開発はじまる
・「琵琶湖環境保全対策」策定
( 富栄養化の観点から合成洗剤の規制を模索しはじめる。当時の合成洗剤に含まれていたリ ン酸が富栄養化を引き起こす原因物質として疑われていた)
・「琵琶湖を美しくする運動実践本部」開設。(大津市自治連合会)
・大津生協発足  
・湖南生協発足
共同購入における取り扱い商品を合成洗剤から石けんへ切り替える活動
・県消費生活センターの消費者リーダー養成講座終了生による消  費学習グループが県内各地に誕生
 
1973
(S48)
・オオカナダモ大繁殖
・彦根市沖に局部的な赤潮が発生
・県水産試験場が41年にわたる観測データ(琵  琶湖水中の溶存酸素量などに関するもの)を発表

・「琵琶湖環境保全対策本部」を設置
  ・第一次オイルショック

・トイレットペーパー・合成洗剤の品不足
-買いだめ現象起こる
1974
(S49)
  ・武村知事就任「草の根政治」石けん運動を「琵琶湖を愛する運動

・われわれのふる里を良くしようという運動」と位置づけ
   
1975
(S50)
    ・「琵琶湖の水といのちを守る合成洗剤追放滋賀県連絡会議」を結成。(滋賀地評主婦連絡会・滋賀県地域婦人連合会、大津生協、湖南生協等の団体による)⇒学校給食などに使う合成洗剤を石けんへと切り替えるように要請(行政へ積極的に働きかけ)  
 1976
(S51)
      ・琵琶湖環境権訴訟提訴
(原告団は、主に下流域の府民によって構成)⇒琵琶湖総合開発に対する反対運動は全県的な住民運動にはならなかった。
1977(S52)  ・草津市の水道でカビ臭の発生

・北湖から南湖にかけて広範囲にわたってウログレナ赤潮が大発生
・赤潮「対策連絡会議」を設置

・「合成洗剤対策委員会」を設置
・県消費生活相談員の指導により、全県下で洗濯機を持ち込んだ「ローラー作戦」を開始。(粉石けんと合成洗剤の洗浄力比較テストを行い粉石けんの優位性を証明。)⇒全国から大きな反響

・「有リン合成洗剤を買わない・売らない・贈らない」運動を展開
・滋賀県人口100万人突破
1978
(S53) 
・志賀町の養魚池で赤潮による魚のへい死や、稚アユやアユの大量死事故が発生・毎日のように新聞紙上を賑わす「赤潮」騒ぎ(赤潮発生の原因である琵琶湖の富栄養化に、家庭から排出される有リン合成洗剤が影響しているとの認識が、マスコミを通して県民に広がり始める) ・「びわ湖水質調査結果」を発表(6月)・知事が市町村長あてに「合成洗剤の使用削減及び粉石けんの使用推進について」通知(7月)(有リン合成洗剤を粉石けんに切り替えようという運動につながる)

・県、洗剤業界に対し要望(9月)
①石けんの生産・販売体制の確率
②リン酸塩を含まない無害な洗剤の開発、早期実用化
③無害な無リン洗剤が実用化されるまでの間、合成洗剤のリン含有率を大幅に引き下げる
・「びわ湖を守る粉石けん使用推進県民運動」県連絡会議設立(8月)(略してせっけん会議という)
参加団体は、「琵琶湖の水といのちを守る合成洗剤追放滋賀県連絡会議」をはじめとした住民団体や、事業者など80団体と、16の市町村連絡会議
方針は、3年で50%以上の粉石けん使用者を増やすことや、団体組織で合成洗剤不使用宣言を行うなどスローガン「たとえ多少の不便があっても、それがびわ湖を守ることになるなら、私たちは粉石けんを使いましょう」

・「琵琶湖を汚さない消費者の会」(母体は湖南生協)が廃食油回収を開始

・石けん運動活発化⇒全県域で「ローラー作戦」県消費生活相談員や、各地にあった消費生活学習グループ員達から養成された「石けん使用アドバイザー」が、地域婦人会・農協婦人部などと連携して、洗濯機をライトバンやリヤカーに乗せて持ち込み、地区又は字の集会所、小・中学校、スーパーの前などで洗濯講習会を実施。硬水地域における粉石けん使用方法なども実演。
・日本石鹸洗剤工業会の動き(6月)
滋賀県の条例化への対応策を協議するための幹部会合を開催。結果、条例化反対運動を積極的に進めることで意見が一致。具体的な運動方針として条例化を思いとどまらせるための説明資料の作成や新聞広告・雑誌対策、政府、滋賀県議会 議員などへの働きかけなどを決定(費用は約10億円)
1979(S54) ・志賀町の養魚池で赤潮による魚のへい死や、稚アユやアユの大量死事故が発生
・毎日のように新聞紙上を賑わす「赤潮」騒ぎ赤潮発生の原因である琵琶湖の富栄養化に、家庭から排出される有リン合成洗剤が影響しているとの認識が、マスコミを通して県民に広がり始める)
・「びわ湖水質調査結果」を発表(6月)・知事が市町村長あてに「合成洗剤の使用削減及び粉石けんの使用推進について」通知(7月)(有リン合成洗剤を粉石けんに切り替えようという運動につながる)
・県、洗剤業界に対し要望(9月)①石けんの生産・販売体制の確率②リン酸塩を含まない無害な洗剤の開発、早期実用化 ③無害な無リン洗剤が実用化されるまでの間、合成洗剤のリン含有率を大幅に引き下げる
・「びわ湖を守る粉石けん使用推進県民運動」県連絡会議設立(8月)(略してせっけん会議という)参加団体は、「琵琶湖の水といのちを守る合成洗剤追放滋賀県連絡会議」をはじめとした住民団体や、事業者など80団体と、16の市町村連絡会議方針は、3年で50%以上の粉石けん使用者を増やすことや、団体組織で合成洗剤不使用宣言を行うなどスローガン「たとえ多少の不便があっても、それがびわ湖を守ることになるなら、私たちは粉石けんを使いましょう」
・「琵琶湖を汚さない消費者の会」(母体は湖南生協)が廃食油回収を開始・石けん運動活発化⇒全県域で「ローラー作戦」 県消費生活相談員や、各地にあった消費生活学習グループ員達から養成された「石けん使用アドバイザー」が、地域婦人会・農協婦人部などと連携して、洗濯機をライトバンやリヤカーに乗せて持ち込み、地区又は字の集会所、小・中学校、スーパーの前などで洗濯講習会を実施。硬水地域における粉石けん使用方法なども実演。
・日本石鹸洗剤工業会の動き(6月)滋賀県の条例化への対応策を協議するための幹部会合を開催。結果、条例化反対運動を積極的に進めることで意見が一致。具体的な運動方針として条例化を思いとどまらせるための説明資料の作成や新聞広告
・雑誌対策、政府、滋賀県議会 議員などへの働きかけなどを決定(費用は約10億円)
1979(S54)   ・新琵琶湖環境保全対策「びわ湖ABC(Access the Blue and Clean)作戦」を発表。(4月)快適な居住環境づくりのために「みんなで考える、みんなで決める、みんなで実践する」を合言葉に、県民・事業者・行政の3者がそれぞれの役割・責務を明確にし、一体となって推進することを謳っている。
・「県合成洗剤対策自主活動推進事業補助金」制度実施(4月)・「びわ湖を守る粉石けん使用奨励交付金交付要綱」を発表(4月)・「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」成立(10月)⇒ 日本初の合成洗剤規制条例 有リン合成洗剤の「店頭での販売禁止」「消費者の不使用の責務」 「贈答品としない責務」を明文化、同時に工場排水への規制や、化学肥料の適正使用の義務付けなど厳しい規制
・せっけん会議の動き「とりもどそう碧いびわ湖」をテーマに県民討論会を県内4ケ所 (湖北 湖東、湖西、湖南)で開催。1300名の県民が参加。合言葉は「美しい水と緑の湖国づくりのために『みんなで一緒に』」
・「琵琶湖を汚さない消費者の会」の動き リサイクル石けんの購入運動を展開 各家庭から出る廃食油の回収に着手し、その後6万世帯にのぼる家庭から廃食油を回収するシステムを作りあげた。このシステムは町内会や自治会単位で各家庭から出る廃食油を、灯油缶やポリ容器に集め、当会が2ヶ月に一度の割合で、ドラム缶を積んだ車で回収し、大津市にあるリサイクル石けん工場「マルタイ石鹸本舗」に運ぶもの。回収に当たったメンバーは、旧国鉄・郵便局・企業の労働組合員ら約20名。県内を3支部に区切り担当していた。
・日本石鹸洗剤工業会は同条例制度化に反対する運動を続けていたが、条例制定後、まもなく反対運動の拠点の「滋賀県事務所」を閉鎖
・洗剤メーカーの動き 条例化反対運動を展開すると同時に、有リン合成洗剤に代わる製品開発に取り組み、結果、「洗剤革命」と呼ばれるほどの画期的無リン合成洗剤の開発に成功し、その後全国に普及した
1980(S55)   県内硬水地域に軟水器を配布、取り付けを展開(6~8月)
・「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」施行(7月1日)
・びわ湖・淀川の水を考えるシンポジウム『びわ湖と大阪』
・せっけん会議の動き 粉石けんの溶けにくい硬水地域を対象に、軟水器の適正使用を呼びかけるキャンペーンを展開 ローラー作戦-県下全地域をくまなく巡回
・農協婦人部や生協・地婦連による「石けんの共同購入」盛んに
・「びわ湖を守る粉石けん使用推進県民運動」県連絡会議は、より活発な活動を展開していくため『運動推進委員会』を設置
・無リン合成洗剤市場に登場
1981(S56) ・大津の膳所公園で鮒が大量死 びわ湖条例施行一周年を記念し7月1日を「びわ湖の日」に制定(7月)    
1982(S57)   ・琵琶湖研究所を設置(4月)・草津市矢橋湖南中部流域下水道浄化センター使用開始
・湖沼に係る環境基準に窒素・リンの項目を追加
・せっけん会議定例総会で、会議の名前を「びわ湖を守るせっけん使用推進県民運動」県連絡会議と改称することを決議。意図は洗濯用の石けんだけでなく、台所や風呂などにおいても石けん使用を推進しようというもの。さらに、この総会で、新たに学習啓発委員会・消費者運動部会・事業者活動部会を設置することをきめた。  
1983(S58) ・有リン合成洗剤の追放によっても、びわ湖の富栄養化は止まらず、南湖に初めてのアオコが発生
・その後琵琶湖における赤潮やアオコの発生は常態化
  ・せっけん会議
①第一回拡大学習会を開催⇒「びわ湖の日」を記念して「水環境を守る地域生活者の実践」がテーマ
②「びわ湖の日」を前にポスター・パンフレット「肌から健康」を作成 
③せっけん会議の消費者活動部会が市町村連絡会議と合同会議を開催
 
1984(S59)   ・合成洗剤環境影響調査団が県に報告書を提出。「LASの琵琶湖への影響は、証明されなかった」
・「ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例(「風景条例)」を制定
・「第一回世界湖沼環境会議」が大津で開催 石けん運動を代表して、せっけん会議事務局長がパネラーとして発表・せっけん会議定例総会と共に「碧いびわ湖県民作戦会議」を開催 
テーマ「いま、わたしたちはびわ湖を守るために何ができるか」 岡山県、総社市、姫路市、西宮市、の消費者団体による石けん使用推進の実践例の発表によるパネルディスカッション
 
1985(S60)     ・せっけん会議「平田川祭り」(彦根市で行われた「平田川に鮎をとりもどす会」が主催する地域の活動)に参加・せっけん会議「語ろう!学ぼう!せっけん運動’85」を開催。(’84世界湖沼 環境会議から一年を経過したのを機会に運動の原点に立ちかえって新たな方向を探り出すため)  
1986(S61)   ・稲葉知事就任「新しい淡海文化の創造」 ・せっけん会議「よい石けんづくり研究のつどい」を開催 石けんメーカー、流通代表者、学識経験者、消費者など140名が参加 ・チェルノブイリ原発事故
1987(S62)     ・せっけん会議定例総会で(発足10年目)で生活排水の問題を特に取り上げ「せっけん使用推進県民運動」が、より大きなテーマを持つ「水環境を守る運動」へ、活動方針の拡大を決定。
・「抱きしめてBIWAKO]に20万人集まる。
・モントリオール議定書採択(オゾン層保護)
1988(S63)   ・保管していた有リン合成洗剤、約3万箱を焼却地の神奈川へ(S52 琵琶湖条例施行により一般家庭より回収されたもの)
・水環境を守る生活推進事業を開始(~1992)生活排水の見直しやストレーナー設置など各家庭における実践活動を推進。自治会単位の地域実践団体と、生活推進協議会が設立されていなかった残りすべての市町村において同協議会を設立された
・「シャボン玉フォーラム」を開催
・せっけん会議定例総会を開催10週年を迎え、運動の輪を従来の「せっけん使用」から「水環境保全に拡大する」ことを決定。
名称を「びわ湖を守る水環境保全県民運動」県連絡会議(略称びわ湖会議)に改称
・「よみがえれ琵琶湖」署名運動
・全国ふるさと創生交付金事業
1989(H1)   ・環境セミナー船「みずすまし号」運行開始 ・「水と文化研究会」発足。ホタルの飛翔調査「ホタルダス」開始 (水環境の指標として住民にとって親しみやすいホタルをテーマとした住民と研究者の共同調査)その後10年以上にわたり続けられ県内各地で延べ日数45,283日、3456人の参加があった。
・環境生協(湖南生協・琵琶湖を汚さない消費者の会が母体)発足⇒国内初の環境に特化した生協が誕生。(合併浄化槽の斡旋、廃食油による石けんづくり、牛乳パック回収による再生紙つくり、リサイクル商品の購入運動など)・びわ湖会議の動き
①機関誌「H2O~すきとおるびわ湖を未来へ」創刊、広報、啓発活動の強化
②びわ湖会議、洗濯機工場見学⇒この当時普及しつつあった全自動洗濯機による潜在と石けんの洗浄力の比較テストを実施。(水温30度では石けんのほうが優位)
・「地球環境元年」と呼ばれる。・グリーンコンシューマーリズムが提唱される
1990(H2)   ・主に下水道の普及していない地域を対象に、微細目ストレーナの使用推進を開始(~H4)・「琵琶湖リゾートネックレス構想」を策定 ・びわ湖会議
①「せっけん水環境活動普及アドバイザー制度」の設置(アドバイザーリスト220名を配布)
②県外視察で高知県の四万十川へ
③石けん使用啓発のステッカーを作成
④びわ湖条例10週年記念事業「うみのこフェスタ’90」へ参加(上手な洗たくの仕方のパネル展示」「せっけんサンプルの配布」
⑤「中国西湖畔で開催された第4回世界湖沼会議に参加
⑥ねんりんピック’90全国健康福祉フェアで「くらしと環境」コーナーに出展
⑦「川とくらしシンポジウム」米原町・新旭町で開催・「びわ湖自然環境ネットワーク」発足  県内各地でゴルフ場やマリーナなどの建設に反対運動を展開していた団体など、12団体によって全県的なネットワーク組織として発足
・「蒲生野考現倶楽部」発足(日野町、旧蒲生町の世代を越えた参加者による水環境調査
・水辺の遊びを中心に下活動を実施)
 
1991(H3)     ・びわ湖会議の動き
①「H2O」4号発行 目の細かいストレーナーの入手方法を紹介
②「せっけんフォーラム’91」を開催
③「水環境シンポジウムin朽木」を開催、洗濯機について学習
④シンポジウム「考えよう 水と暮らしのいい関係」を開催「料理と台所排水」「一日の生活」「調査方法入門」の3分科会で、県立短大一日入学を体験・大津市湖辺ルネッサンス~大津のヨシ作戦~はじまる
 
1992(H4)   ・「せっけん普及のステッカー」を制作、希望者へ配布・「びわ湖せっけんエコクリーン」を発売(県が石けん技術開発協会と共同で開発した洗たく石けん)
・同時に手づくり石けん自粛要請 

各家庭の廃食油から手づくりで作らた石けんが、リサイクル工場で作られたものに比べて不純物が残りやすく、水質に悪影響にを及ぼしやすいとの調査結果に基づくもの
・「琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例施行(7)
・「ごみ散乱防止に関する条例}(7)5月30日を環境美化の日と定め、以後「ごみゼロ作戦」が行政
・事業者・地域住民によって行われるようになった
・びわ湖会議
①石けん普及月間に、街頭で啓発を展開
②「水環境シンポジウムin草津」を開催
③水環境シンポジウムを、県内7つの県事務所単位で開催 テーマ「環境保全運動が自立するための活動と財政について」
・この要請を受けて、「せっけんでも使い過ぎれば水を汚す」との意識が高まり、石けんの適正使用の気運が始まる。
・住民らによる「ヨシ刈り活動」が始まる。
・湾岸戦争勃発(石油高騰)・リオ地球サミット
1993(H5)   ・ごみ減量リサイクル推進協議会設立
・「びわ湖せっけんエコクリーン」コンパクトタイプ発売
・びわ湖会議
①せっけん水環境活動普及アドバイザーのつどい開催
②「環境にやさしい湖国のくらし」発行ー環境にやさしいくらしのアイデアを満載、気配りの生活を提案
③石けん普及月間に街頭で啓発を展開
④ 「長浜市水生生物少年調査団の活動記録」発行(「子どもの目から見た環境」)
⑤県下6ヶ所で「水環境シンポジウム」を開催(構成団体のメンバーが運動の原点にかえって川を視察し、川と自分たちの生活のつながりを再認識)
⑥神戸市で開催された「地方から考える県民運動フォーラム」に参加。発表。
・「環境基本法」制定・「びわ湖」がラムサール条約の登録湿地に指定される(多様な生態系を持つ湿地の保全を目指すもの)
1994(H6) ・北湖でアオコ発生
・琵琶湖大渇水(ー123センチ)
・「地球環境の保全のために(アジェンダ21滋賀)」を策定・「ストップフロン滋賀」発足
・せっけん水環境活動推進員および市町村協議会合同研修会を開催
・びわ湖会議
① 「せっけん水環境活動普及アドバイザーのつどい」開催
②アドバイザー検討委員会を開催(名称を変更し、役割分担を明確化した)
③「’94淡海環境フェア」を開催
 
1995(H7)   ・第6回世界湖沼会議(茨城県霞ヶ浦)にびわ湖会議から38名が参加    
1996(h8)   ・「’96淡海エコライフ・フェア」で「エコライフフォーラムーびわ湖からエコライフうぃ考える」をびわ湖会議と共催

・県消費生活審議会「第2回エコライフ部会」開催(生活排水に関連して米のとぎ汁による琵琶湖の汚濁負荷の数値を報告)
・「環境基本条例」制定・「みずすまし構想」策定
・「豊穣の郷 赤野井湾流域協議会」設立(県と守山市による)⇒NPO法人「びわこ豊穣の郷」
・せっけん水環境活動推進員および市町村協議会合同研修会を開催
・びわ湖会議 琵琶湖博物館に記念植樹(樹木を通して環境の大切さを考える目的で緑を増やす活動の一回目として)